〜「問題を解く」という意識からの卒業〜
英語=教科として学んできた年数が長いほど、いつのまにか英語を「問いを解く」ものとすりこまれていたりします。たしかに、英語学習用のテキストには設問があり、練習があり、その指示に従って学んでいく形式に作られていたりします。しかし、英語を「解く」対象ではなく、実社会で「身につけたい」のだとすると、「解く」という癖が行く手を塞いでしまったりします。
学習用のテキストであれ、よい教材であればあるほど、語彙も文も、どのようなコンテキストで用いるのかを学ぶチャンスの宝庫です。小栗がいつも学生にお話をしているのは「よい教材でないとダメ」であること。それには充分な注意が必要です。そして教材の「使い方が肝心である」こと。何でも手当たり次第、やみくもに、がむしゃらに使えば力がつくものではありません。たった1冊でめざす力が付くこともあれば、何冊と闘っても力は全く付かないこともあります。教材は、モノと使い方、意識の置き方が命です。(教える側でいうと、教材は独歩してくれないので、教え方が命ということになります)
語彙集、文法教材、リーディング、リスニング教材、SI Room(語学専用自習室)にも置いているRFU(Reading for Understanding)カード、そして多読本、ペーパーバック、辞書(!)etc。どこからでも英語を学ぶことができます。Webや新聞、テレビからも映画からも、街で流れている音楽からも学ぶことができます。学習教材であろうと、「実物」であろうと、英語力はつけられます。
問題集であれそろそろ解くこと、採点することを目標に例文を読むのをやめてみませんか?そこにある文そのものの英語を味わってみませんか?きっと、学ぶことが広がると思います。問題を解く、採点するということが目標に(いつのまにか)なってしまっている場合、問題を解いたら学びは終点となります。目標はそこ? 本当は使えるようになりたいのではなかったでしたっけ?
決めては文。読む時も、聞く時も、1文にどのような主語が選ばれ、動詞が選ばれほかの語彙表現が選ばれているかは、文から学びます。文にはコンテキスト(状況)が必ずあります。たった1つの文にも、文法問題集の例文1つにも、コンテキストが存在します。「へえ、こうやって表現するんだ」という例が、すべての文につまっています。文には語彙選択、文法選択、構文選択がからんでいます。ただし、例文がよいものであれば(=小栗がオススメしている本なら大丈夫という意)です。キモチが悪い「愚文」が並んでいるむちゃくちゃな例文ぎっしりの教材もありますので注意が必要です。(そんな教材が教科書になっている授業を受けなくてはならない場合は、その文をリライトしてみると楽しいです。)
今日も「TOEFLの得点をめざして勉強していてはいけない」とTOEFL受験志望の学生に警告しました。TOEFLの「得点」をめざして学習している限り英語はそこ(得点)までです。beyond TOEFLの力はつきません。大学、大学院で講義をまともに、英語に四苦八苦せず母語と(ほぼ)同じように受けられるレベル、あるいは母語と(ほぼ)同じように仕事で英語を使えるレベルの英語を身につけたい・・とするのなら、揺るがない英語基盤が必要です。よい英語例文を読ませ、聞かせてくれるものを選び、そこで用いられていることばそのものから、しっかり栄養を頂きましょう。覚える・・というより1つ1つ心刻む感じです。体にしみ込ませる感じです。覚えて、忘れて・・ではこれまでの試験対策英語から脱皮できません。
「問題を解き、採点し、誤りを直し、反省する」
残念ながらそのループの中にいる限り、使える英語は身に付きません。使おうとしていないからです。そろそろ英語を「教科」「試験」としてではなく「ことば」としてみてみませんか?英語を幅広い「教材」で味わい、たくさんのセンテンス、パラグラフ、パッセージと出逢い、親しくなりましょう。「そうか、こうやって表現するんだ。いつか使ってみたいな」と思えるようになると1つハードルをクリアできたことになります。そうやって自分のことば(英語)の基盤をつくっているうちに、「今の自分の英語力はいったいどのくらいだろう?」と照らし合わせるのが、資格試験。そう思えないのであれば、資格だけめざせばよいでしょう。もし「ことば」として身につけたいのであれば、そろそろ英語を「ことば」の1つとして味わってみてはどうでしょう。
2014/10/9
Seiko Oguri