「いま使っている教材は簡単すぎると思います」という声を時々耳にします。
まず「簡単すぎる」の基準は何でしょうか。「知らないことがない」から簡単?「設問に答えられる」から簡単?
はたして「知らないことを知る」ことだけが学習なのでしょうか。たとえば英語だと「単語」。知らない単語がない=学ぶ事はない、と思った事はありませんか。知らない単語がないのなら、そのレベルでは一歩進んで、それが全て「身に付いているか」を確認するチャンスかもしれません。その単語、それぞれの単語を使って最低1文例文を瞬時に作れますか?それができなければ「身に付いている」というレベルには達していないともいえます。
では文に対して・・・
- 辞書を使わず、スラスラ一度読むだけで、内容が頭に入ってくる。
- 辞書を使わず、スラスラ一度読むだけで、日本語にすれば内容が分かる。
- 辞書をわず、とりあえずつっかえつっかえ読めて、日本語にすれば内容が分かる。
- 辞書を使いながら、なんとか読めて、日本語にできる。
- 辞書を使いながら、だいたい読めている気がして、でも日本語にしてもよく内容が伝わってこない。
1〜5は、全て異なります。今使っている教材が、1.ならば、1つ学習方法をあげてみる。
- 速読する(スピードをあげる。読み返しを絶対にしない)
- 音読する(きわめてナチュラルに近づける)
- 音声CDがあれば、読むのではなく耳から入れる(本文は確認まで見ない)
- 音声CDがあれば、ポーズ&リピートする(文の長さを長くしたり、ポーズからリピートまでの時間を長くしていくと難易度up)
4.の場合も、辞書を使うか、使わないで単語の意味を前後やコンテキストから類推する練習にすると、学習内容は変わります。
1ランクずつ学習方法に負荷をかけていって、「これならどうだろう」とやってみた末に、それでも「簡単」だったらレベルを上げましょう。1つのテキストですと、テキストの後半に向けて難易度は少々あがります。どのあたりのUnitからスタートすればいいのかは、ざっとスピードをあげてみていって、「ここからだ」というところからじっくり取り組むのはどうでしょう。
あこがれや、背伸びをして足が浮いているのに、難易度をあげて満足をしていると、振り返ったときに何も身に付いてない自分がいるはずです。スポーツなど実技を伴うものならば、明らかに「実力」が伴わないものには「無謀」ということが明らかですが、実技を伴うはずの「言語活動」はどうでしょう。英語を学んでいるうちは、積み残していることに気づかずにいられますが、実技に入ると、どうでしょう。
学習方法に「正解」「不正解」はありません。いろいろと試して、失敗しても、方法を修正していく力をつけることができれば、それ自体が「学習」だといえます。